「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
豊かな歴史
アル・ファイユームの豊かな過去:歴史を巡る旅
エジプトの中心部に位置するアル・ファイユームは、その歴史の豊かさと多様性において、ナイル川にも引けを取らない存在です。考古学的発掘により、アル・ファイユームの起源は旧石器時代を含む先史時代に遡り、完新世や新石器時代の重要な発見もあります。ガートルード・トンプソンやエリナー・ワイト・ガードナーといった考古学者、そして国際的なチームの尽力により、この地の古代の遺物が次々と明らかになってきました。
古代エジプト時代、アル・ファイユームはエジプト人から「シェデト」と呼ばれていました。聖書にも関連があると推測されており、10世紀の学者サアディア・ガオンは、アル・ファイユームが『出エジプト記』に登場するファラオの「財宝の町」ピトムに該当する可能性があると述べています。この町はワニ神ソベク(ラテン語:スークス、コイネーギリシア語のΣοῦχος、スーカス)への信仰の中心地でありました。この信仰の影響で、町はラテン語では「クロコディロポリス(ワニの町)」と呼ばれるようになりました。
ソベクへの信仰は、聖なるワニ「ペツーチョス(生けるワニ)」の神格化によって象徴されました。ペツーチョスは黄金や貴石で装飾され、神殿内の池で飼われて、訪問者からの供物が与えられました。ペツーチョスが死ぬと、新しいワニがその後継者として選ばれました。
プトレマイオス朝の時代には、アル・ファイユームは一時的に「プトレマイス・エウエルゲティス」と呼ばれていました。その後、プトレマイオス2世フィラデルフォス(紀元前309-246年)は、妻であり姉でもあったアルシノエ2世にちなんで町を「アルシノエ」と改名しました。アルシノエ2世は死後に列聖され、アレクサンドロス大王を中心としたプトレマイオス朝の宗教儀礼に取り込まれました。
アルシノエという名前を持つ都市が他にも存在したため、ローマの征服後には区別が必要となり、この町は「アルシノエ・アルカディア」と呼ばれるようになり、アルカディア・エジプティ州の一部として区別されました。
エジプトにキリスト教が伝来すると、アルシノエはカスル・イブラヒームと同様に、重要な司教区の中心地となりました。この町は州都であり、オクシリンコスの従属司教区、さらには大司教区として機能しました。特に、ミシェル・ル・キアンが挙げた多くの司教たちは、正統信仰で知られていました。
後の時代には、カトリック教会はアルシノエを名義司教区とし、619年から629年の間にはサーサーン朝エジプトの総督シャハラニョザンの行政拠点となりました。
現在、アル・ファイユームは多文化が共存する地となっており、都市部は主にエジプト人が居住し、郊外にはベドウィンと呼ばれる少数派のアラブ系住民が住んでいます。この多様性は、アル・ファイユームが文明や文化の交差点として長く歴史を重ねてきた証です。そのため、エジプトの豊かな歴史の中でも特に興味深い一章となっています。
2020年3月18日作成
2025年3月4日更新
アルファイユーム旅行ガイド

