「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
エル・アシュムネイン
エル・アシュムネイン:アル・ミンヤにおける時を越えた旅
ナイル川の西岸、マラウィの北西に位置するエル・アシュムネインは、古代エジプトの歴史の響きを今に伝える場所です。ファラオ時代には「クムヌ」として知られ、古王国時代において、知恵、癒し、書記の神トトを祀る賑やかな信仰の中心地として栄えました。
聖なる都市の進化
グレコローマ時代において、エル・アシュムネインはヘルモポリス・マグナとして知られるようになり、上エジプト第15ノームの首都として重要性を増しました。この都市は、ギリシャの神ヘルメスとエジプトの神トトが並び称えられる文化のるつぼでした。その象徴となっているのが、神トトの威厳を示す巨大なヒヒ像です。
「クムヌ」という名称は「8の町」を意味し、原初の丘が現れる以前の混沌を象徴する8柱の神々「オグドアド」に由来しています。残念ながら、街の最古の建造物は時の流れに耐えることができず、泥煉瓦の遺跡の塚と石造りの神殿の断片のみが残されています。その中にはかつて壮麗を誇ったトト神殿も含まれています。
砂の下の発見
1930年代、ドイツの調査隊がラムセス2世が建設した神殿の塔門を発掘し、エル・アマルナのアテン神殿からの1000個以上のタラタトブロックを明らかにしました。その後、1980年から1990年にかけて、英国博物館のジェフリー・スペンサーとドナルド・ベイリーが主導した発掘調査では、新王国時代の神殿や遺物、そして「ヘルメスのドロモス」と呼ばれる著名な通りが発見されました。
オープンエア博物館:過去へのポータル
エル・アシュムネインを訪れると、旧考古学調査所跡にあるオープンエア博物館で出迎えられます。ここでは、アメンホテプ3世時代に遡る、高さ4.5メートルを超えるトト神を象ったヒヒ像2体を含む、像や石碑の数々が展示されています。
この地の主な見どころは、何世紀にもわたる採石にもかかわらず、その存在感を保ち続けている壮大なトト神殿です。ネクタネボ1世の再建跡やラムセス2世、ホルエムヘブの塔門の遺構は、神殿の歴史的な重要性を物語っています。
神殿の建築的驚異
トト神殿は、ネクタネボ1世の時代に築かれた巨大な泥煉瓦の壁など、歴史的な構造を誇ります。アレクサンドロス大王が追加したポルチコは、現在は廃墟となっていますが、かつては石灰岩の柱と色鮮やかな装飾が施されていた壮観な構造でした。
近くには、ラムセス2世が建設したアメン神の聖域があり、メルエンプタハとセティ2世によるレリーフが見られます。また、このエリアにはトト神殿への元々の入口とされる中王国時代の門の遺構も残っています。
神殿を超えて
エル・アシュムネインの歴史は、ローマ時代のアゴラと修復されたコプト教会を通じてさらに明らかになります。これらの構造物は、プトレマイオス朝とギリシャ様式の建築を融合しており、当時の社会構造や宗教的実践を示す碑文とともに、当時の姿を伝えています。
英国博物館の調査チームによるヘルモポリスの遺跡発掘では、良好に保存された泥煉瓦の家々や、歴史的遺物が並ぶプロセッション通りが発見され、裕福な住民たちの生活が垣間見えます。
歴史に浸る墓地
エル・アシュムネインで最も古い発見は、1980年代に発掘された中王国時代の墓地です。広大な泥煉瓦の壁に囲まれたこの墓地は、当時の埋葬習慣の豊かな伝統を物語り、典型的な陶器の供物が見られます。
まとめると、アル・ミンヤに位置するエル=アシュムネインは、単なる考古学的遺跡ではなく、古代文明への入り口です。遺跡や博物館を巡る中で、過去の囁きが生き生きと蘇り、エジプトの豊かで歴史ある物語を堪能できる没入型の体験を提供してくれます。
2020年3月18日に作成
2025年3月26日に更新
アル・ミンヤ観光ガイド

