「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
アン・ナースィル・ムハンマド・スルタンのマドラサと霊廟
アン・ナースィル・ムハンマド・スルタンのマドラサと霊廟:イスラム建築の勝利
カイロの中心部、イスラム建築の壮麗さを象徴する「アン・ナースィル・ムハンマド・スルタンのマドラサと霊廟」がそびえ立っています。この素晴らしい建造物は、その時代の頂点に達した建築技術を示し、イスラム工芸の不朽の遺産として、今も輝きを放っています。
カラーウーンの息子であるアン・ナースィル・ムハンマド・スルタンは、多くの功績を残しながらも専制的な側面を持った統治者でした。その統治は複雑な歴史的背景に彩られています。彼の治世を物語る象徴的なエピソードの一つが、12世紀のアッコ(現在のイスラエルのアッカー)での教会襲撃であり、このときゴシック様式の扉が戦利品として持ち帰られました。この扉は、1304年に彼のマドラサの中に組み込まれ、異文化交流と建築様式の進化を象徴するものとして現代に至るまで残っています。
そのアーチを目にするとき、「アッラー」の文字が刻まれていることに気づくでしょう。これはこの場所の精神的な重要性を示す証しです。また、繊細な漆喰で飾られたミナレット(尖塔)には、北アフリカの影響を受けた細やかな模様が施されており、イスラム芸術の国際的な性質を語りかけます。
マドラサの右側に位置する霊廟には、アン・ナースィルの母親と彼の最愛の息子の遺体が安置されています。ここに、この謎多き支配者の遺産が永遠に眠っているのです。アン・ナースィル・ムハンマド・スルタン自身は、父であるカラーウーンと同じ墓所に葬られています。これは家族と歴史が織り成す複雑なタペストリーを思い起こさせるものでしょう。
「アン・ナースィル・ムハンマド・スルタンのマドラサと霊廟」は、信仰と芸術が交錯する世界への入り口です。ここでは過去が現在と交わり、漆喰の精緻な模様や「アッラー」と刻まれた永遠のカリグラフィーの中に歴史の響きが響き渡ります。イスラム工芸の不滅の精神を象徴するこの建築の傑作は、カイロの豊かな文化遺産の灯台として、未来に向けてその輝きを放ち続けています。
作成日:2020年3月18日
更新日:2025年3月22日
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