「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
カスル・エル=グウェイタ
カスル・エル=グウェイタ
カスル・エル=グウェイタ(Qasr El-Ghueita)は、エジプト・カーラ・オアシスに位置し、カスル・エル=ザイヤーンの北にほど近い丘の上に築かれた印象的な砦です。この地にも他の多くのオアシスの砦と同様に神殿が併設されており、アラビア語で「小さな庭の砦」を意味する「カスル・エル=グウェイタ」という名は、かつてこの地が農業の盛んな地域であったことを物語っています。
ローマ人の到来以前、この地は「ペル・ウセフ(Per-Ousekh)」として知られており、早くも中王国時代には栄えていたと考えられています。特にブドウ畑とワイン生産で名高く、新王国時代のテーベ貴族の墓に記された碑文には、ペル・ウセフ産のブドウの品質の高さが称えられています。ブドウの収穫風景は砂漠の狩猟場面とともに描かれることが多く、ブドウ栽培がナイル渓谷ではなく、砂漠のオアシスでワイン用として行われていたことを示しています。オアシス産のワインは王侯貴族に愛され、非常に高く評価されていました。
この丘の上に築かれた砦は、ローマ軍が砂漠の交易路を監視するための拠点として使用していたと考えられます。高い城壁に囲まれた内部には多数の日干し煉瓦建築が確認されていますが、ローマ時代の占拠に関する詳細は現在でも明らかではありません。
かつて砦の斜面に広がっていた村の存在は、周囲に散在する廃墟となった住居跡からも確認できます。また、この地における人間の居住は先史時代まで遡る証拠も見つかっています。
砦の内部には、10.5メートル×23.5メートルの砂岩製神殿があり、砦の約5分の1を占めています。神殿の最古の部分は、ペルシャ第28王朝のダレイオス1世の治世(前5世紀)に遡る3つの後室で構成されています。ただし、さらに古い聖域の上に建てられた可能性もあります。
中央の至聖所には、ダレイオス1世のカルトゥーシュと称号が描かれた彩色装飾が残っており、「ラーの子、生ける姿を示す偉大なる者、命を授けられしダレイオス」と記されています。後壁の浮彫りもダレイオス1世に帰属するとされ、これらの装飾や構造は、イェール大学のテーベ砂漠道調査隊による「ゲベル・グウェイタ・プロジェクト」の調査対象となっています。この調査は、遺跡の理解を飛躍的に深める成果を挙げています。
至聖所の前にある4本柱の列柱ホールは、第27王朝のアマシス2世によって建てられたという説もありますが、イェール大学の調査では建築的・考古学的な確証は得られていません。前庭および列柱ホールの建設に関しては、入口の柱の銘文により、プトレマイオス3世エウエルゲテス1世のものであるとされています。
この神殿は、テーベ三柱神(アメン、ムト、コンス)に奉納されたものです。見学者は、南側の囲い壁にある砂岩の門を通って中庭へと進みます。この中庭には、プトレマイオス3世によって建てられたスクリーンウォール付きのプロナオスがあり、その奥にはプトレマイオス様式で装飾された列柱ホールが続きます。ナイルの神々がノーム(州)を象徴するシンボルを持つ場面が描かれ、四本柱のうち三本の柱頭装飾は現在も美しく残されています。
列柱ホールの奥には奉納室があり、その横には屋上へ上る階段が設けられています。屋上からは砦の内部や周辺のオアシスを見渡すことができます。さらに奥には、アメン神を中心とする三つの並列した至聖所があり、神像が安置されていました。壁の装飾は、時を経て煤と経年によって黒ずんでいますが、当時の宗教的雰囲気を今に伝えています。
主神殿の南東部には、未発掘の石造建物があり、これが「マミジ(誕生の家)」であった可能性があります。その前方には、儀式用の台が設けられています。
砦を取り巻く外壁の高さは現在でも約10メートルあり、円形の火山丘の上にそびえ立つその姿は、今もなお威厳に満ちています。南側の斜面には、かつてのローマ時代の町の泥レンガ建築の遺構が広がり、当時の活気ある集落の面影を残しています。
この神殿は19世紀から旅行者に知られており、1972年にはアハメド・ファフリーによって発掘されました。近年では、エジプト最高考古評議会とイェール大学の合同調査によってさらなる発掘が行われていますが、調査結果の発表は今後に期待されています。
作成日:2020年3月18日
更新日:2025年3月23日
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