「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
ニウセルラー王のピラミッド
ニウセルラー王のピラミッド──太陽崇拝と第5王朝の革新を物語る記念碑
ニウセルラー王のピラミッドは、エジプト第5王朝の建築技術と宗教的進化を物語る重要で保存状態の良い遺構です。第5王朝中期(紀元前2445〜2421年頃)に統治したニウセルラー王は、この時代を代表する著名なファラオのひとりであり、彼のピラミッド複合体はその強力な統治と、古代エジプトの太陽崇拝信仰の重要性を示しています。
このピラミッドはアブシールのネクロポリス内に位置し、サッカラやギザの南に広がる墓地の一部を成しています。アブシールはギザ高原ほど有名ではありませんが、第5王朝期における王族の主要な埋葬地として重要な役割を果たしました。ニウセルラーのピラミッドは、保存状態の良さだけでなく、その周辺構造の複雑さでも注目されています。
元々「メン・ス・ニウセルラー」(ニウセルラーの場所は永遠なり)と呼ばれたこのピラミッドは、地元の石灰岩を使用して建設されました。より早い時代のピラミッドと比べると規模は小さいものの、高さ約52メートルという印象的な高さを誇ります。石灰岩ブロックで構成された中心部分に、かつては磨き上げられた白い石灰岩の外装石が施されていましたが、現在ではほとんど失われています。それでも、ピラミッドの構造はアブシールでも最良の保存状態を保っています。
ニウセルラー王のピラミッドが特に注目されるのは、その複合体に含まれる葬祭神殿、参道、谷神殿といった要素です。特に葬祭神殿は保存状態が良く、第5王朝の建築様式をよく表しています。この神殿には精緻なレリーフや彫像が数多く残されており、ニウセルラーが神々、特に太陽神ラーに供物を捧げる儀式の様子が描かれています。これらの装飾は、王の神聖なる統治権と神々との密接な関係を強調するものであり、古代エジプトの宗教的宇宙観を理解する上で極めて貴重な資料となっています。
葬祭神殿は入り口の広間、供物の間、そして司祭が供物を保管したであろう貯蔵室など、いくつかの部屋に分かれています。また、この神殿はニウセルラーの太陽神殿とも関連しており、彼が太陽神ラーの崇拝を推し進めた様子がうかがえます。太陽神殿は第5王朝の支配者たちが築いた特徴的な建造物のひとつであり、ニウセルラーの治世はこうした太陽崇拝が隆盛を極めた時代でもありました。
参道は、葬祭神殿から谷神殿へと繋がる通路で、かつては覆いがあり、ニウセルラー王の統治や儀式の場面を描いた精巧なレリーフで飾られていました。現在ではその多くが崩壊しているものの、これらの装飾の痕跡から当時の複合体の壮大さを垣間見ることができます。谷神殿はナイル川に近い場所に位置し、王の遺体が受け取られ、ピラミッドへと運ばれる準備が行われた場所でした。
興味深いことに、ニウセルラー王のピラミッド複合体は、後のピラミッドや王族の記念碑の建設に影響を与えました。この複合体で見られる革新、特に太陽神殿と葬祭神殿の統合は、第5王朝期の王墓や宗教建築の進化を反映しています。彼の複合体は単なる埋葬地にとどまらず、王の来世での永遠の存在を保証するための宗教儀式の場でもありました。
さらに、ニウセルラー王は自身のピラミッド建設だけでなく、先代の王であるネフェリルカラーやネフェレフラーの未完成のピラミッド複合体を完成させたことで知られています。彼の影響力は自身の墓を超え、第5王朝の宗教的、政治的な枠組みを維持するために尽力したことを示しています。
現在、ニウセルラー王のピラミッドはアブシールでも最も保存状態の良いピラミッドのひとつであり、訪問者に第5王朝の建築的進歩とその背後にある宗教的意義を探る機会を提供しています。その周囲に点在する小規模なピラミッドや高官たちのマスタバも、遺跡の歴史的豊かさをさらに深めており、古代エジプトの政治、宗教、建築の複雑な融合を目の当たりにすることができるでしょう。
ギザ旅行ガイド

