「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
タバ旅行ガイド
タバ旅行ガイド
歴史と地政学的な重要性の交差点
タバは、アカバ湾の先端に位置し、長い間、戦略的かつ歴史的な要衝として、交易、帝国、そして現代の地政学の潮流に影響を与え、また影響を受けてきました。
古代の交易拠点
キャラバンの交差点: 古代において、タバはアラビア半島のキャラバンがエジプトの商人と交わり、商品と文化を交換する賑やかな中継地でした。
オスマン帝国の支配と地政学的操作
1892年、ヘディーブ・タウフィークの死去に伴い、当時エジプトを統治していたオスマン帝国はその息子アッバス・ヒルミ2世をヘディーブに任命しました。この時期はエジプトに対するオスマン帝国の影響が強まった時代でもあります。
オスマン帝国のスルタン、アブデュルハミト2世は、この地域でのイギリスの影響力を抑えるため、エジプトのアカバ湾へのアクセスを禁止する布告を発しました。この布告はエジプト側の激しい議論と抵抗を引き起こしました。
その結果生じた交渉は、現在のタバまで続くアカバ湾南端までの東エジプト国境を確定させるものでした。北のエル・アリーシュ東部から南端のタバに至る国境線がこの交渉で正式に定められたのです。
20世紀とイギリスの影響
オスマン帝国によるタバの奪回試み: 1906年、オスマン帝国はタバを取り戻すために兵士と砲兵をラス・タバに派遣しました。しかし、この動きはすぐに逆転し、イギリスの介入により、タバがエジプトの一部であることが国際的に認められた国境が確立されました。
国際的認識: 第一次世界大戦後、イギリスがエジプトの独立を認めたことで、タバのエジプトの一部としての地位は世界的に承認されました。
紛争と解決の時代
三国侵攻とその後: 1956年の三国侵攻とガマール・アブデル・ナセル大統領によるスエズ運河の国有化を受けて、平和条約によりタバはイスラエルとの休戦ラインの北に位置することが確認されました。
イスラエル占領と解放: 1967年の戦争では、イスラエル軍がシナイ半島を占領し、タバもその一部となりましたが、エジプトの勝利を収めた1973年の10月戦争により、主権の回復が徐々に進み、最終的にアナワル・エル・サダト大統領の下でキャンプ・デービッド合意が締結されました。
最終的な解決と発展
国際仲裁とエジプトの主権:
ホスニー・ムバーラク大統領の下で行われた長期的な交渉と国際仲裁の結果、1989年3月19日にタバはエジプトの完全な主権下に戻りました。
タバの変貌:
それ以降、エジプトはタバのインフラに多額の投資を行い、この地域を主要な観光地へと変貌させました。近隣にナブク国際空港が建設され、タバの魅力をさらに高めています。現在、10以上のホテルや多彩なリゾートがあり、幅広い観光客や訪問者を受け入れています。
古代の交易の要所から現代の観光地へと変貌を遂げたタバの物語は、エジプトの地政学的な歴史と密接に絡み合っています。この地域特有の不屈の遺産を映し出す物語でもあります。
作成日:2020年3月18日
更新日:2024年8月