「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
ナドゥーラの砦と神殿
神殿について
「見張り台」という意味を持つナドゥーラ(Nadura)は、エジプトのカーラ・オアシスにあるエル・カーラ中心地から北東約1.5キロの丘の上に戦略的に築かれた砦と神殿の遺跡です。この高台からは、オアシス全体を一望できる壮大なパノラマが広がり、遠くにはヒビス神殿やエル・バガワットの墓地などの名所を見渡すことができます。
現在ではナドゥーラの集落は砂の下に埋もれてしまいましたが、かつて村に存在した2つの神殿の遺構が今もなお姿を残しています。中でも主神殿の南側入口の壁は、丘の頂上に位置し、今でも確認することができます。
ナドゥーラの主神殿は、西暦2世紀、ローマ皇帝ハドリアヌスおよびアントニヌス・ピウスの治世に建設されました。風化が進んだ南側の囲い壁には砂岩でできた門があり、そこから中庭へと入ることができます。神殿の3つの部屋はこの中庭内にあり、別の小さな入口は北側の壁に設けられていました。
建物の西側には「プロナオス(前室)」と呼ばれる空間があり、これが現在残っている数少ない部分のひとつです。残念ながら、その先にあった前庭や至聖所(サンクチュアリ)はほとんどが砂に埋もれてしまっています。このプロナオスの正面は当時の特徴的な様式で、列柱でつながれたスクリーンウォールがあり、神々の姿やヒエログリフの刻まれた装飾が施されていました。
神殿が奉納されていた神については、遺されたレリーフの損傷が激しいため、長年にわたり議論が続いてきました。女神ムトの姿が複数のレリーフに見られることから、彼女が主神とされる説もありますが、アメン、コンス、イイ、トト、ベスなど他の神々の名も挙がっています。また、近隣のヒビス神殿で崇拝されていた「ヒビスのアメン」との関連性も指摘されています。
2009年、イェール大学は「ナドゥーラ神殿プロジェクト」を立ち上げ、遺跡に残るレリーフや碑文の本格的な記録を開始しました。このプロジェクトでは、考古学的・建築学的な調査とともに、崩壊した至聖所周辺の発掘も行われました。調査の結果、ナドゥーラ神殿はアメンとムトの息子である月の神「コンス」に捧げられたものである可能性が高いとされ、特にアメンの前に立つコンスを描いた特異なレリーフがその証拠として注目されています。
時を経て、神殿の外部には一時期コプト教会が建てられ、その後、マムルーク朝およびオスマン時代には建物全体がトルコの砦として再利用されました。また、丘のふもと、主要道路の近くには、碑文のない第二の神殿の遺構も見ることができます。
作成日:2020年3月18日
更新日:2025年3月23日
カルガオアシス旅行ガイド

