「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
時を超えた旅
ロゼッタ(ラシード):文明と文化の年代記
ロゼッタ、アラビア語ではラシードとして知られるこの地は、エジプトの豊かな歴史を物語る証人のような存在です。古代エジプト時代から絶え間なく人々が住み続けてきたこの場所は、数多くの帝国の興亡や文化の移り変わりを静かに見守ってきました。
ヒトからボルビティネまで:時を超えた旅
かつて「民衆」を意味する古代エジプト語のヒエラティック文字から「キト」と名付けられたこの町は、伝説のファラオ、メネスの治世下で栄えました。プトレマイオス朝時代の幕開けとともに、この町はヘロドトスが記したナイル川の七つの分岐のひとつにちなみ「ボルビティネ」という新たな名を受け入れました。この時代は町の大きな変貌を象徴し、後の進化の舞台を整えました。
キリスト教時代とアッバース朝の防備
キリスト教エジプト時代の到来とともに、ロゼッタは再び改名され、今度はコプト語の口語形で「(ト)・ラシト/ラキト/レクシ」と呼ばれるようになりました。850年代には、重要な歴史の転換点が訪れます。アッバース朝カリフ制がこの地の戦略的重要性を認識し、プトレマイオス都市の遺構の上に要塞を築いたのです。その後、この要塞を取り囲むように中世都市が形成され、数多くの歴史的出来事の舞台となりました。中でも特筆すべきは、1249年の第七回十字軍におけるフランス王ルイ9世による短期間の占領です。
ロゼッタの商業的繁栄
マムルーク時代、ロゼッタは重要な商業拠点として台頭し、その地位はオスマン朝時代を通じて誇らしく維持されました。1820年のマフムーディーヤ運河の建設によりアレクサンドリアが主要な港として発展し始めるまでは、ロゼッタの商業的重要性は揺るぎないものでした。とはいえ、ロゼッタは歴史の舞台から退くことはなく、1807年9月19日に起きたイギリスのフレーザー遠征軍の敗北など、重要な出来事の目撃者としてその名を刻み続けました。
作成日:2020年3月18日
更新日:2025年3月27日