「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
文化のるつぼ
ポートサイドの歴史
ポートサイドは、エジプトにおける重要な歴史的・文化的な意義を持つ都市であり、その豊かで多様な過去は、独自のアイデンティティを形作ってきました。以下に、この重要な港町の歴史を詳しく見ていきましょう。
創設と初期の発展
- 1859年4月25日、スエズ運河建設の開始を記念してエジプトのサイードによって創設。
- フェルディナンド・ド・レセップスが建設を指揮し、最初の鍬入れが象徴的な瞬間となる。
- 当初は船の停泊が困難であったが、近くの岩場を活用することで解決。
建築の進化
- 当初、建築資材はほとんどなく、すべて輸入に依存。
- 建物は木材や輸入された組み立てキットで建てられることが多かった。
- 防波堤や灯台にはコンクリートが用いられるなど、革新的な建設技術が採用された。灯台は今でも現存する唯一のオリジナル建造物。
人口の増加と多様性
- 1859年に150人だった労働者人口が、運河開通時の1869年には1万人に達する。
- 地中海諸国からの移民が多く、さまざまな国籍や宗教が共存する国際都市となる。
地理的・都市的な発展
- 初期はヨーロッパ地区とアラブ地区が砂浜で分けられていたが、後に統一された都市空間として発展。
- 20世紀初頭には綿花輸出とカイロへの鉄道接続により、都市の拡大が加速。
文化のるつぼ
- ユダヤ人商人、ギリシャ人写真家、イタリア人建築家など、多国籍の住民が活動する賑やかな国際港。
- ヨーロッパ人や非アラブ人の間ではフランス語が共通語として広く使用された。
歴史的事件と変化
- イギリス占領時代やスエズ危機など、エジプトの重要な歴史的出来事の舞台となる。
- 特に1956年、ナセル大統領によるスエズ運河の国有化により、政治的・軍事的な焦点となった。
近代的な発展
- スエズ危機後、多くのヨーロッパ人が移住し、アラブ・イスラエル戦争中は困難な時期を迎える。
- 1975年にスエズ運河が再開されると、ポートサイドは再び活気を取り戻し、自由貿易港として経済と人口が復活。
ポートサイドの歴史は、建設の成功、文化的な共存、建築の驚異、そして地政学的な出来事が織りなす物語です。スエズ運河建設時の創設から、賑やかで多様な大都市への発展まで、ポートサイドはエジプトと世界をつなぐ重要な玄関口として、文化、言語、歴史の独自の融合を体現しています。
作成日:2019年5月1日
更新日:2025年3月26日