聖ピショイ修道院(Monastery of St. Pishoy)

ワディ・エル・ナトゥルンの聖ピショイ修道院(Monastery of Saint Pishoy)

聖ピショイ修道院(Monastery of Saint Pishoy)

聖ピショイ修道院 は、エジプトの ベヘイラ県ワディ・エル・ナトゥルン に位置し、アレクサンドリアのコプト正教会における重要な精神的中心地です。聖ピショイ にちなんで名付けられたこの修道院は、その歴史的・宗教的な重要性で広く知られています。

以下、この修道院の概要をご紹介します。

所在地と名声

ワディ・エル・ナトゥルンに現存する4つの修道院の中で最も東に位置しています。

コプト正教会において最も有名な修道院です。

創設と古代の歴史

4世紀に聖ピショイ(Saint Pishoy)によって創設されました。

元々デイル・エル・ベルシャの聖ピショイ修道院に埋葬されていた聖ピショイと聖パウル・オブ・タマ(Paul of Tammah)の遺骨は、9世紀にこの修道院へ移されました。

現代の発展

修道院には、聖ピショイ、聖パウル・オブ・タマ、その他の聖人の聖遺物が安置されており、聖ピショイの遺体は腐敗していないと伝えられています。

また、1971年から2012年までアレクサンドリアの教皇を務めた 教皇シェヌーダ3世(Pope Shenouda III) もここに埋葬されています。

建築の特徴

修道院には5つの教会があり、主教会は聖ピショイに献堂されています。他の教会は、聖母マリア、兵士アバスキロン、聖ゲオルギウス、大天使ミカエルに献堂されています。

5世紀にベルベル人の襲撃に備えて建設された防御塔があり、さらに教皇シェヌーダ3世の時代に近代的な城も建設されました。

殉教者の井戸(The Well of the Martyrs)

この歴史的な井戸は、伝承によれば、ベルベル人がスケティスの49人の長老殉教者を殺害した後、剣を洗った場所とされています。

殉教者たちの遺体は後に回収され、近隣の 聖マカリウス修道院(Monastery of Saint Macarius the Great) に埋葬されました。

教皇シェヌーダ3世の下での近年の発展

修道院の拡張と近代化が進められ、古代建築の修復、新たな修道士・訪問者向け施設の建設、さらに農業および畜産プロジェクトの開発が行われました。

この修道院出身の教皇

特に、教皇ガブリエル8世(在位1525–1570年)と教皇マカリウス3世(在位1942–1945年)は、聖ピショイ修道院と関わりがありました。

2015年時点での修道院の司教兼院長は、サラパモン(Sarapamon / Serapis Amon)でした。

聖ピショイ修道院は、コプト正教の不朽の力と精神的な深みを象徴する存在です。その豊かな歴史と、現在も修道生活と巡礼の中心地としての役割を担い続ける姿は、信者や歴史家にとって非常に重要な意味を持ちます。

作成日:2020年3月18日
更新日:2024年8月

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