「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
カスル・イブリム
カスル・イブリム:ヌビアの歴史と文化的たくましさの証
カスル・イブリムは、エジプトにおける深い歴史的意義を持つ地であり、時代を超えて続くヌビア文化のたくましさと複雑さを物語る証人のように立っています。
地理的・歴史的な重要性
場所:
元々はナイル川東岸の高い崖の上に位置していたカスル・イブリムは、南アスワン・ダムの建設によって形成された島の一部となっています。
アクセス:
現在、ナセル湖上の船からのみその姿を見ることができ、一般公開はされていませんが、エジプト探検協会のもとで考古学調査が続けられています。

名前と起源
語源:
カスル・イブリムという名前はアラビア語で「イブリムの砦」を意味し、古代の文献に見られるPrimisやコプト語のPhrimといった古名から進化したものです。
起源の推測:
正確な起源は不明ですが、エジプト中王国時代に建設されたと考えられています。ナイルの交易路を制御する戦略的な地点として機能していた可能性が高いです。考古学的証拠によると、最古の遺物は紀元前1000年頃に遡ります。
歴史的な混乱と変遷
ローマ占領:
紀元前31年のアクティウムの海戦以降、カスル・イブリムはローマの前哨基地となりました。この地ではアマニレナス女王の下でのヌビア人との衝突があり、ローマとヌビアの支配が交替する中、様々な和平条約や占領が行われました。
宗教変化に対する抵抗:
驚くべきことに、カスル・イブリムは、周辺地域でキリスト教や後にはイスラム教が広がる中でも、伝統的なエジプト信仰の中心地であり続けました。390年のテオドシウス1世による異教神殿禁止令に耐え、最終的には神殿が教会に改装される形でキリスト教に改宗しました。

宗教と建築の遺産
神殿と祠:
カスル・イブリムには、ハトホル、ホルス、そして第一急湍の神々を祀る祠が存在していましたが、ナセル湖の建設に伴い移設されました。アメンホテプ2世の時代に総督ユーセラテトによって建てられた祠は、現在アスワンの新ヌビア博物館に収められています。
キリスト教への転換:
タハルカ王の神殿が教会に改装され、7世紀には聖母マリアに捧げられた大聖堂が建設されることで、カスル・イブリムはキリスト教の中心地へと転換しました。
考古学的発見
重要な発見:
アメンホテプ1世の石碑、司教ティモテオスの墓、ヌビア語で書かれた『ヨハネの黙示録』のページ、さらには様々な私物など、多くの貴重な遺物がここで発見されています。これらは現在、英国博物館に収蔵されています。
文化の変遷:
この地の歴史は、エジプトの異教信仰からキリスト教、さらにオスマン帝国の征服によるイスラム教への移行を反映しています。
カスル・イブリムは、数千年にわたるヌビアとエジプトの宗教、文化、政治の動的な変遷を内包するユニークな歴史的遺跡です。その豊かな遺産と考古学的調査は、地域の歴史を深く理解するために大きく貢献しています。
2020年3月18日に作成
2025年3月6日に更新