「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
ネフェリルカラー王のピラミッド
ネフェリルカラー王のピラミッド──エジプト第5王朝の変遷を象徴する記念碑
ネフェリルカラー王のピラミッドは、アブシール・ネクロポリスの中で最大規模を誇るピラミッドです。この記念碑は、第5王朝の3代目ファラオ、ネフェリルカラー・カカイ(紀元前2475〜2455年頃)のために建造されました。ギザの壮大なピラミッド群には及ばないものの、このピラミッドはギザの壮大な構造と、第5王朝で進化を遂げた新しいピラミッド建設技術をつなぐ重要な架け橋といえます。ネフェリルカラー王のピラミッドは、第4王朝の巨大で精巧なピラミッドから、後世において宗教的複合施設を重視した控えめな構造へと移行する過程を象徴する存在です。
もともと階段ピラミッドとして計画されていたネフェリルカラー王のピラミッドは、建設途中で滑らかな側面を持つ真のピラミッドへと変更されました。この構造変更は、ギザの先行する王たちのピラミッドに触発されたものです。しかしながら、最終的に外装の仕上げとなる白い石灰岩の化粧石が施されることはなく、基礎構造がむき出しのままとなっています。この状態により、古代エジプトのピラミッド建設の内部構造を垣間見ることができます。高さ約72メートル(236フィート)に達したこのピラミッドは、アブシール最大のピラミッドとして完成しましたが、現在では荒廃した状態となっています。
このピラミッドを特に際立たせているのは、付随する葬祭神殿とその複合施設です。ネフェリルカラー王の葬祭神殿は彼の死後未完成のままでしたが、木製の柱が多く使用されていた点で特筆されます。木材はエジプトの神殿建築では珍しい素材であり、この神殿には供物用の大きなエリアが設けられていました。後にこの神殿は、王の妻ケントカウス2世やその息子たちであるネフェレフラー王とニウセルラー王によって完成されました。
ピラミッド複合体には、葬祭神殿とナイル川を結ぶ参道や谷神殿も含まれています。これらの構造は現在では大部分が崩壊していますが、当時の葬儀儀式において重要な役割を果たしていました。神殿内のレリーフには供物や王室の儀式の場面が描かれており、ネフェリルカラー王が神々と民衆の間の神聖な仲介者として果たした役割を強調しています。
また、ネフェリルカラー王の治世では、ピラミッド・テキストと呼ばれる宗教的な碑文が重視されるようになりました。これらの碑文は王の魂を来世へと導くためのもので、後のピラミッドではさらに発展していきますが、ネフェリルカラー王のピラミッドはその基礎を築きました。このように、単なる建築的偉業にとどまらず、詳細な宗教碑文を通じて王を記念するという重要な転換期を示しています。
ネフェリルカラー王のピラミッドが位置するアブシール・ネクロポリスは、第5王朝の多くのファラオたちの王室墓地として機能していました。この遺跡は、太陽神ラーを中心とした信仰が隆盛を極めた第5王朝における宗教的および政治的な活動の中心地でもありました。ネフェリルカラー王のピラミッドは、この太陽崇拝の信仰が建築様式にも大きな影響を与えたことを示す一例です。
ネフェリルカラー王のピラミッドはギザのピラミッドほどの知名度はありませんが、古代エジプトのピラミッド建設の進化や宗教的実践の変化を理解する上で非常に重要な存在です。その未完成の状態は当時の建築技術を直接的に物語り、その背後にある宗教的意義とともに、後の古王国時代の精神的側面を探求する手がかりを提供します。
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